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西部邁氏の思い出

2018-01-22

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 大学に入った1年目、西部邁氏(以下、敬称略)の「経済学」の講義を受けた。1976年のことだ。西部は前年、中央公論から「ソシオ・エコノミックス」を出版しており、ラディカル・エコノミックスの旗手として注目を集めていた(ちなみに、「ソシオ・エコノミックス」は西部の友人である元全学連委員長の唐牛健太郎にささげられていた)。
 片手をズボンのポケットに突っ込み、淡々と、しかし自信に満ちた口調で語る西部は──下衆な表現だが──かっこよかった。
 講義の中心はサミュエルソンらに代表される(新)新古典派批判だった。こちらは新古典派の理論さえ十分に理解していないのに、いきなりその問題点を指摘する「市場の失敗」や「パレート最適と社会的公正」の話をされても、なんのことやらわからない。あわてて岩波から出ていたサミュエルソンの「経済学」を買いそろえ、並行して近代経済学の勉強もした記憶がある。
 講義は知的刺激に満ち、とにかくおもしろかった。怠け者の私にしては珍しく、1年間1度も休まずに出席した。当時の西部は、二十歳になるかならないかの私にとって、疎外論の城塚登(「社会思想史」を担当)や「世界の共同主観的存在構造」を著した廣松渉(「西洋哲学史」を担当)と並んで神さまのような存在だった。
 だから、十数年後いわゆる「東大駒場騒動」にからんで西部が新聞に「保守の論客」として紹介されたとき、正直言って違和感があった。伝統的な左翼ではないにしろ、私が知る西部は間違いなく保守の対極に位置する人だったからだ。
 あとで考えると、予兆はあった。私は一時、西部が専門誌に発表する論文や評論に逐一目を通していた。その中に、西部が(たぶんサバティカルで)渡米した際、マルクーゼの授業を見学した様子をエッセイ風に書いたものがあった。マルクス主義を説くマルクーゼを揶揄した箇所に、私が知るラディカリストの西部とは違う顔を見たような気がした。
 東大駒場騒動後、西部は時代の寵児となり、テレビや雑誌などに頻繁に登場するようになったが、私はその後、西部の書いたものをほとんど読んだことがない。雑誌の対論や評論に目を通したことがあるが、そこに書かれていた国家観や憲法論は全く私の価値観とは相いれないものであり、最後まで読み通すのに苦痛を感じるような代物だった。若き日のさっそうとした西部を知る者としては、嫌悪というよりもむしろ痛々しさを覚えた。
 「保守の論客」といわれるようになってだいぶたったころ、偶然、放送大学(テレビ)で西部の講義を見たことがある。淡々とカール・ポパーを論じる西部の姿は私が知る「西部教授」を彷彿とさせるものだった。しかし、そこにはネタがばれた手品を見せられているような居心地の悪さがあった。たぶん、十数年のうちに彼も変わったし、私も変わっていたのだろうと思う。
 何が西部を変えたのか。
 大学院生だったころ(80年代のはじめころ)ゼミの教官だった吉田民人教授(社会学)に西部をどう思うか、尋ねたことがある(たぶん西部が専門誌に書いた論文について)。理論家でならした吉田教授は「西部君がやったことで理論的に成功したことは一つもない」と静かな口調だが、きっぱりといった。厳しい評価だった。
 確かに、西部は博識であった。経済学という枠組みを超えて、近現代の社会科学、社会思想に通暁していた。しかし、彼が満を持して専門誌に発表した論文(今手元にないのでうろ覚えだが、「経済評論」に書いた知の考古学風の論文)は尻切れトンボで終わった感がある。私もその論文を熱心に読んだが、これまでの社会科学、社会思想に登場した概念を整理しただけで、それによって結局何をしたいのかよくわからなかった(私の頭が悪かっただけなのかもしれないが…)。博覧強記であったことが、逆に自らの独創的な理論を構築する妨げになったのか。そして、そのことがより現実に即した政治・社会評論に軸足を移すことにつながったのかもしれない。
 それでも、私は常に彼に対して畏敬の念を抱いてきた。大学1年の時に買った「ソシオ・エコノミックス」はいまも大事に持っている。何度も本を整理し、専攻していた社会学の本もあらかた売り払ってしまったが、若き日に線を引きひき読んだこの本は捨てられなかった。私も年をとって、あと10年生きるか、20年生きるかわからないけれど、たぶん死ぬまで書棚に並んでいるだろう。
※ ※ ※
 批判めいたことを書きましたが、それでも私にとって西部氏は大切な師であり、多くのことを教えていただきました。西部先生のご冥福をお祈りします。
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政務調査費~千代田区議会、「性愛図鑑」や「知人と9泊北陸視察」

2014-07-07

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 兵庫県議の野々村竜太郎県議(47)=無所属、西宮市選出=の「号泣会見」をきっかけに不明瞭な政務活動費のあり方が問題となっていますが、東京都の中心部・千代田区議会でも「性愛図鑑」の購入や「知人と9泊北陸視察」など通常の感覚では首をかしげるような支出が行われていたことを思い出しました。

2014年3月23日付朝日新聞から引用します。

 政務のためとして、「江戸の性愛図鑑」を購入し、フランス料理店でワイン付きの優雅なランチ、知人と9泊の北陸視察研修旅行――。朝日新聞が情報公開請求した2012年度分の千代田区議会の政務調査費(現政務活動費)の使い道から、こんな実態が明らかになった。すでに一部を返還した区議もいるが、「使途として、論外だ」と指摘する専門家もいる。

 都内版の記事でしたので、全国的な注目は集めませんでしたが、ひどい話だと思いました。監査請求や裁判も起きているようですね。成り行きを注目したいと思います。

違憲の閣議決定~憲法訴訟で争う道(2)

2014-07-04

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 本論に入る前に、問題点を2つ。
 第一に、閣議決定は裁判所の違憲審査の対象になるのか、という点。
 憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と定めています。ここに閣議決定が含まれていないので、心配される方もあるかもしれませんが、これは大丈夫です。法律、命令、規則又は処分は、例としてあげられているだけで、これ以外は違憲審査の対象とはならないという意味ではありません。裁判所も一定の条件の下に、条文にあげられていない条約や立法不作為(国会がなすべき立法をしないこと)が違憲とされる場合があることを認めています。
 第二に、だれでも(たとえば私やあなたでも)、この閣議決定の違憲性を争う裁判(違憲訴訟、憲法訴訟)を起こせるのか、ということです。
 結論から言うと、これはできない、と考えておいた方がよいでしょう。
 違憲審査制度には(1)一般的に違憲審査をする憲法裁判タイプ(ドイツなど)と(2)裁判所が民事や刑事、行政事件などの具体的な事件を裁判するにあたって、その事件に適用される法律が違憲でないかを審査する司法裁判タイプ(米国など)があります。日本国憲法の違憲審査制度は米国の判例法理を受け継いで条文にしたものですので、そういう歴史的な沿革を重視して、日本の違憲審査制度は(2)の司法裁判タイプと考えられています。つまり、訴えの利益がある人が具体的な裁判の中でしか争えないのです。これは判例・学説ほぼ一致した見解なので、覆すのはむずかしいでしょう。

 それでは、違憲の閣議決定を訴訟(違憲訴訟・憲法訴訟)で争う道をいくつか考えてみます。

(1)正面突破、がっぷり四つ型
 違憲であることを理由に、閣議決定の無効を確認する訴訟、または閣議決定を取り消す訴訟を起こす。1人でももちろんできますが、たくさん仲間を集めて提訴することもできます。
 このような訴訟は先に述べたように具体的な事件性がないとして、ふつうは却下(門前払い)されると思います。ただ、たとえば複数の野党の党首や有力な国会議員、元首相らが原告として名を連ねれば、裁判所もちんけな事件としてむげに扱うこともできません。違憲審査制は私権(個人の権利)を守るだけでなく、憲法体制を守る大切な働きもあるのですから、裁判所は「一見してきわめて明白に違憲」の閣議決定を放置してよいのか、というプレシャーを受けることになるでしょう。そういうプレシャーの下に、原告側の法律構成によっては訴えの利益があると認められるケースも出てくるかもしれません。

(2)民事裁判型
 閣議決定の違憲性だけが問題となっていますが、このエキセントリックな閣議決定によって、集団的自衛権の行使の主体である自衛隊自体の合憲性も相当怪しくなっています。憲法が集団的自衛権の行使を認めていないのなら、その集団的自衛権を行使する実力組織である自衛隊も、違憲となるのが筋道だからです。
 そうだとすれば、たとえば自衛隊基地の中に土地を所有する地主が、自衛隊の違憲を理由として借地契約の解除(あるいは無効)を求める民事訴訟を起こすことなどが考えられますね。

(3)刑事裁判型~恵庭事件型
 自衛隊法などには様々な罰則規定があります。たとえば、恵庭事件で問題となった自衛隊法121条は「防衛の用に供する物を損壊」した者を5年以下の懲役としています。
 自衛隊法違反で起訴された人が、閣議決定によって集団的自衛権を行使することになった自衛隊は違憲の存在だから自衛隊法も違憲であり、無罪だと主張するケースが考えられます。違憲訴訟を起こすためにわざと自衛隊法違反の行為をするというのは行き過ぎであり、よいことではありませんが、突発的な事件が結果的に憲法裁判となる可能性はあります。

(4)裁判が法令により認められているケース
 地方自治体の自衛官募集事務は、地方自治法にいう法定受託事務となっています。地方自治体が、これを集団的自衛権の行使を認めた閣議決定により自衛隊が違憲の存在となったことを理由に拒否します。国は是正の指示をしてきたら、国地方係争処理委員会に審査を申し出ます。委員会が主張を認めなかったら、法律の規定により高裁に提訴できます。
 個人的にはこれはかなり有望だと思います。ただ、国が違憲判断を避けるために是正の指示を出さない可能性がありますね。

テーマ : 政治のニュース
ジャンル : ニュース

違憲の閣議決定~憲法訴訟で争う道

2014-07-02

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 安倍内閣は1日の臨時閣議で、集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をしました。集団的自衛権の行使が憲法によって禁じられていることは明白ですから、この閣議決定は誰がなんと言おうが、憲法上無効です。しかし、閣議決定は行政権の帰属する内閣の意思決定ですから、放置しておけばこの決定にそった政策が立案され、実行されてしまいます。
 これを阻止する方法はないのでしょうか。
 本来は国民の代表で構成する議会が内閣不信任案を可決し、違憲の(つまり国民との信託契約に反した)行為をした安倍内閣の首をはねるのが筋ですが、与党絶対多数の国会の状況では現実的な可能性は極めて少ないとみなければなりません。
 次の選挙で自民党・公明党に鉄槌を下して政権交代を実現し、新内閣が今回の閣議決定を撤回し、従前の穏当な解釈に戻す決定をすることもできますが、衆議院が解散される状況にはありませんし、直近の参議院選挙も2年先です。

 そこで、この閣議決定の違憲性を裁判(違憲訴訟、憲法訴訟)で争う道はないのか、ということが問題となります。(続く)

テーマ : 刑事事件・裁判関連ニュース
ジャンル : ニュース

プロフィール

hiroshi

Author:hiroshi
久保谷洋(くぼたに・ひろし)
ジャーナリスト、翻訳家。
元朝日新聞東京社会部記者、元朝日学生新聞社出版担当。タイトルはブログを始めたときの肩書きが「出版担当の役員」だったときにつけたものです。ある程度定着しているので出版担当をやめた後も、そのままにしています。2016年4月から1年間、外務省研修所非常勤講師(オランダ語担当)をつとめました。

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